第1章. 階上地区を取り巻く社会環境
本章では、まず、まちづくりを進めていく上で土台となる、地域を取り巻く社会環境について記載した。
階上とはどのような地区なのか、どのような役割を担ってきたのか、改めて各種統計や歴史的経緯を踏まえて、「階上地区の基礎情報」として整理した。次いで、このたびの東日本大震災がもたらした被害と、そこからの復旧・復興の途中経過を「東日本大震災による被災状況と復旧・復興に向けた動き」としてまとめた。最後に、「地域の持続的発展論」と題して、日本、あるいは、世界のなかで、地域の持続的発展を見据えた大きな社会構造変革が起きていることに触れ、そうした社会環境の変化に対応していくために、また、震災以前から認識されていた地域課題を解決していくために、地域住民が主体となってより柔軟なまちづくりを実施していくことの重要性について記述しました。
1-1. 階上地区の基礎情報
◎各種統計
● 人口・世帯数推移 (注1)
|
平成22年 |
平成23年 |
平成24年 |
平成25年 |
平成26年 |
平成27年 |
人口 |
4,817人 |
4,443人 |
4,402人 |
4,332人 |
4,328人 |
4,320人 |
世帯数 |
1,570世帯 |
1,521世帯 |
1,542世帯 |
1,552世帯 |
1,593世帯 |
1,626世帯 |
● 行政区別人口 (注2)
地区名 |
人口 |
向原 |
175人 |
杉ノ下 |
294人 |
牧 |
264人 |
上町 |
230人 |
岩井崎 |
217人 |
内田 |
194人 |
長磯原 |
515人 |
長磯浜 |
376人 |
七半沢 |
161人 |
森前林 |
922人 |
長磯高 |
524人 |
最知高 |
424人 |
川原 |
378人 |
● 産業別人口(労働力人口2,360人中) (注2)
産業 |
人口 |
農業・林業 |
130人 |
漁業 |
245人 |
建設業 |
148人 |
製造業 |
469人 |
運輸業・郵便業 |
148人 |
卸売業・小売業 |
304人 |
金融業・保険業 |
32人 |
宿泊業・飲食サービス業 |
108人 |
生活関連サービス業・娯楽業 |
69人 |
教育・学習支援業 |
73人 |
医療・福祉 |
200人 |
複合サービス業 |
30人 |
サービス業(他に分類されないもの) |
96人 |
公務(他に分類されるものを除く) |
35人 |
l 観光客数:階上86,400人(気仙沼市全域1,351,400人) (注3)
l 学校別児童・生徒数:階上小学校218人、階上中学校113人、気仙沼向洋高校356人 (注4)
(注1) 平成27年まで各年12月31日現在(気仙沼市統計書より)。
(注2) 平成22年10月1日現在(国勢調査より)。
(注3) 平成27年(気仙沼市統計書より)。
(注4) 平成27年5月1日現在(気仙沼市統計書より)。
◎郷土史と東日本大震災以前の階上地区の役割と課題
l 旧階上村は、昭和30年4月1日、新月村、大島村とともに気仙沼市に吸収合併。
l 階上小学校、階上中学校、気仙沼向洋高校が立地し、教育環境が整ったエリア。
l 岩井崎、お伊勢浜海水浴場という、市内有数の観光スポットを擁する。
1-2. 東日本大震災による被災状況と復旧・復興事業
◎被災状況
l 階上地区は、家屋被害が、全壊1,746戸、大規模半壊・半壊・一部損壊922戸、計2,668戸であった。これは地区の棟数の60.4%に当たる(気仙沼市全域で39.3%)。市内でも特に津波被害の大きかった地区である。
l 国道45号線が冠水し、大谷~向原、向原~原、前林~岩月間で寸断され、大きな障害となった。
l 主力産業である沿岸養殖業(ワカメ・牡蠣・ホタテ)が壊滅した。
l 階上小学校が避難所となっていたが、近くまで津波が押し寄せた事から、階上中学校に避難者が集中した(最大2千人超)。同様に、階上公民館、階上保育所共に避難所となっていたが、地震被害が大きく直後の利用が難しかった事も、中学校に集中した要因の一つである。
l 気仙沼市では、2013年7月9日に建築基準法第39条に基づく、災害危険区域を条例で指定し、階上地区では約155haが区域指定された。
◎復旧・復興事業
l 住宅再建
防災集団移転促進事業・災害公営住宅整備事業を通じて、以下の地区の住宅再建が進められてきた。長磯浜地区(防災集団移転促進事業64世帯、災害公営住宅整備事業106世帯)、波路上杉の下地区5世帯、波路上内田地区10世帯、最知川原地区6世帯、最知川原2地区13世帯。
また、上記の他に個人による自力再建も進んでいる。
l 海岸防潮堤
階上地区では、気仙沼市、宮城県、林野庁など、それぞれの管理海岸において合意し、多くの海岸で既に工事が進められている。
l 産業再生
市管理漁港である川原漁港、杉の下漁港、および、県管理の波路上漁港(波路上、岩井崎、内田、浜、森合)において、漁港復旧事業が進められている。また、漁港復旧事業、防潮堤事業と連動しながら、漁業集落防災機能強化事業が進められており、併せて、避難道整備が、集落道整備として事業化されている。養殖業の施設復旧は、宮城県漁協が受け皿となって国の5/6補助事業を軸に再生に取り組んできた。併せて、牡蠣、ホタテは国の再生支援「がんばる養殖」制度を活用して再生に取り組んできた。
一方、農山漁村地域復興基盤総合整備事業による圃場整備と被災農地復旧事業を中心に農地を再生し、六次産業化も視野に入れた農業再生に取り組んでいる。その中で圃場整備は、最知地区及び杉の下地区において、地権者合意がなされ工事が進められている。
小規模加工業等の方々は、中小企業基盤整備事業の「仮設店舗、仮設事務所、仮設工場」の制度を活用して事業再開している。
l 交通・道路整備
JR気仙沼線は、BRT(Bus Rapid Transit)方式による仮復旧済み。鉄道路線復旧については、厳しい見通しが示されている。
三陸縦貫自動車道は、「本吉気仙沼道路」の本吉九多丸~松崎高谷間(7.1km)が平成18年度に、本吉津谷長根~本吉九多丸間(4km)が平成23年度に、それぞれ事業化しており、平成30年度の供用開始を目指して工事が進められている。
1-3. 地域の持続的発展論
◎社会環境の変化への対応
l 人口自然減少社会を迎え、従前の成長戦略から持続的発展へ転換が求められている。また、急激な人口減少の補完として、年齢層によらず一定の流動人口を定常的に確保することが必要である。
l 少子高齢化と産業構造の変化により、社会保障環境への多様な対応が求められる。特に老齢層、若年層、それぞれへの対応が急務である。
l 三陸ジオパークに唐桑、大島、岩井崎が認定された。ジオパークは「地質の公園」「大地の公園」と呼ばれ、その価値が経済的交流を生む事を目的としている。特に山と海が一体となった三陸海岸の生活風景の原型を留める軸線の明示化が必要である。更にジオパークのネットワーク化と拠点作りも重要な課題である。
◎住民主体のまちづくりの機運
l 行政主体の都市計画(「なにをしてもらうか」)から、住民主体のまちづくり(「なにができるのか」)へ。東日本大震災は、物理的には「ゼロ」、精神的には「マイナス」を突き付けられたが、全国からの支援と多くのボランティアに支えられ、国の支援策の中で一歩一歩復興してきた。しかしながら、ここからは、自分たちがまちの主役である、という意識を強く持ち、まちづくり協議会を中心として、地域の各団体の活動を有機的に結びつけていくことが肝要である。
l 「スローフード」「スローシティ」といったキーワードに代表される、伝統的な食文化や生活環境の継承への取組みが試みられている。食文化の再生は地域再生のバロメータである。この事を意識し、更に相互の関連性を意識し、集約し、発展型のモデルを創り上げることで、日常の安定感をもたらし、復興の原動力となる。
◎「海と生きる」街、気仙沼
l 気仙沼市の復興計画は「海と生きる」を標語に、史上最大の犠牲者「二度と繰り返さないこの悲劇」をはじめとする5つの基本理念と、「津波死ゼロのまちづくり」など6つの復興目標、そして、市土基盤の整備など7つの柱で構成されて取り組んでいる。
l 階上地区では、地域防災の一助とするべく、東日本大震災記録誌「服膺の記」を平成25年3月に発行し、この大震災を風化させず、震災の体験から学んだ教訓を記録として留めている。また、甚大な被害があった杉ノ下地区では、遺族会が、記録誌「永遠に~杉ノ下の記憶~」を編纂した。
l 震災遺構保存の考え方に則り、階上地区では、気仙沼向洋高校の保存が決定している。震災遺構は、津波被災の痕跡を留めるものであるだけではなく、被災からの復興の過程と現況を知り、その中で「海と生きる」知恵を体験的に学ぶ場所となる。